福井消えゆく伝統行事 「よそ者」が継続の力に

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「夷子(えびす)勝った、大黒勝った。エイヤ、エイヤ」。威勢のいい掛け声で幕を開ける福井県敦賀市中心部、相生町の旧西町の「夷子大黒綱引き」。400年以上前から伝わる毎年1月の伝統行事は今年、太平洋戦争や昭和天皇崩御以来の中止となった。地元住民は「(運営する)人も金もなくてどうしようもなかった」と話す。

 数百人が大綱を引き合い、豊作豊漁を占う祭りは1986年、国の重要無形民俗文化財に指定された。祭りを運営してきた旧西町は、30年前より半分以下の約15世帯に減った。旧西町のマンションに引っ越してきた人は祭りに関心がないという。

 運営費約100万円の4割は地元企業の寄付で賄ってきたが、経営者の代替わりなどで集金は困難に。保存会の松村輝男会長(61)は「頭下げては断られての繰り返し。最近は誰が役員を務めるかでも、もめていた」と打ち明ける。

 祭りの中止を寂しく思う地元外から声が上がり、10月には運営を引き継ぐ伝承協議会が設立された。地元や商工団体、NPO法人など8団体による来年の復活が決まった。

 ■人不足は全国的な傾向

 福井県によると重要無形民俗文化財の指定は2016年度末で国5件、県63件。そのうち県指定の3件は担い手不足などを理由に休止状態。京都・祇園祭ですら、大学生らの協力で成り立っているなど、人不足は全国的な傾向だ。

 伝統行事の継続が難しくなる中、美浜町民俗学者、金田久璋さん(74)は「東北地方では東日本大震災の経験から共助や郷土愛を強く意識するようになり、祭礼行事が復活している」と指摘。阪神淡路大震災時も、祭りが盛んだった地域のほうが団結力が強く復興が早かったという。

 金田さんは、祭りと人々の暮らしは深く関わっているとし「休廃止の背景には、人口減、地域や家族の崩壊、第1次産業の衰退など多くの問題がある」と話す。

 ■人の交流が地域再生

 越前市で江戸時代から続く2月の「ごぼう講」は、羽織袴(はおりはかま)の男衆が大量のご飯とごぼうをたいらげる奇祭だ。参加世帯が毎年順番に会場を移して開く。今年担当した冨田敏幸さん(67)は、ごぼう300キロ、米45キロを用意。前日の料理の下準備では、近所の人や親戚を呼び、約40人で作業を行った。調理するのも男だけだ。

 佐賀県出身の冨田さんは30代で国中に養子にきた。初参加のときは次々に酒をつがれてふらふらになったが、「これで自分も国中の一員なんだと感じた」と話す。

 現在は約50戸で当番家を回している。冨田さんは「当番は大変だけど、集落には団結力がある。福井豪雨で床上浸水した家もあったが、泥水や土砂の撤去などみんなで助け合った」。ただ国中も若者の流出が進む。冨田さんの一人息子は音楽の道に進み上京。「帰る予定はない」と言われてしまった。

 伝統行事の継承のため地域外から助っ人を集める動きは全国各地で起きている。福井では、若者の力を生かして地域活性化に取り組む県の「ふくい若者チャレンジクラブ」の大学生らが活躍。今年、あわら温泉春まつりやじじぐれ祭り(福井市)など七つの祭りに、2年前の4倍となる計88人が参加した。

 金田さんは「助っ人の若者たちは祭りを守る人たちの思いや伝統を、集落の高齢者らは若者の新しい考えを知る。人の交流が、地域再生につながる可能性がある」と話す。

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