歴史堕ちたアフリカの英雄 ジンバブエ・ムガベ大統領 NHK特集

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12月2日 12時26分

アフリカ南部のジンバブエで強大な権力を握り、“世界最高齢の独裁者”と呼ばれてきた93歳のムガベ大統領。先月、軍の事実上のクーデターをきっかけとした政変で辞任を余儀なくされました。かつて「独立の英雄」としてたたえられたムガベ氏。40年近くにわたって続いてきたその独裁政権がどのように崩壊したのでしょうか。
ヨハネスブルク支局長 味田村太郎)

独裁者の転落劇は突然に

アフリカ南部のジンバブエで独立以来、強権政治を続けてきたムガベ大統領。強大な権力を誇り、盤石とみられてきたその独裁政権をめぐって事態が急変したのが、11月15日のことでした。

深夜、軍部が突如、首都ハラレの街角に戦車や兵士を展開。国営放送局を占拠したのです。軍の責任者は「軍の行動はわが国の悪化した政治・社会・経済の状況を回復させるためのものだ」と述べて、国の実権を掌握したと宣言し、ムガベ氏を自宅で軟禁状態に置きました。

それから転げ落ちるようにしてムガベ政権は瓦解。11月21日にムガベ氏は辞任を表明し、独裁政権はあっけなく崩壊しました。

アフリカでも最も権勢を誇った政権がどのようにして崩壊に追い込まれたのか。まずは、ジンバブエムガベ大統領の歩みをたどります。

独立の英雄 ムガベ

ムガベ氏は1924年の生まれ。当時のジンバブエはイギリスの植民地で、少数の白人による政権が圧倒的多数の黒人を支配していました。

地元や隣の南アフリカで勉学に励み教師となったムガベ氏は、その後、独立運動に身を投じます。何度も逮捕され、獄中で10年間を過ごしました。その間、3歳の子どもを感染症で亡くしました。

1974年、釈放されたムガベ氏は、反政府ゲリラを率いて武装闘争を展開。その演説はラジオなどを通じて伝えられました。独立への熱い思いがこもった言葉は、長い間、白人の支配下に置かれてきた多くの人々を勇気づけたといいます。

当時のムガベ氏について、BBCは住民の証言を次のように伝えています。

「私は当時、少年でしたが、ラジオを通じて聞こえてくるムガベ氏の声は、豊かで美しいものでした。彼の言っていることのすべてはわかりませんでしたが、新しい国家のために私たちは闘っているのだ。ジンバブエの人々よ、勝利は近いと、いつも訴えていました」

1980年にジンバブエは独立。ムガベ氏は「独立の英雄」とたたえられます。新国家の首相に就任し、その後、大統領となりました。

ムガベ氏は当初は、白人と黒人の人種間の融和を訴え、南アフリカで反アパルトヘイト闘争を率いていたネルソン・マンデラ氏と並び、アフリカの偉大なるリーダーの1人として内外から尊敬される存在でした。

教育や医療の普及にも力を入れ、今でもジンバブエの人たちの教育水準が高いのは、このときのムガベ氏の尽力があったからとされています。

強権政治による独裁者へ

その一方で、みずからの権力を脅かすと疑った勢力には、躊躇なく暴力や弾圧を加えてきました。

1980年代には、北朝鮮による訓練を受けた軍の特殊部隊が、野党の支持者、数千人を虐殺したとされています。また、治安当局によるジャーナリストや野党の政治家の拘束や拷問も繰り返されました。
今もムガベ政権のもとで行方不明となった家族を探している人が少なくありません。

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さらに経済政策でも失敗を重ねます。2000年代、白人が所有する土地を強制的に収用し、黒人の農民に土地を分配する土地改革を推し進めました。ところが、これによって、大規模な農業経営はほとんど姿を消し、かつて「アフリカのパンかご」と言われた高い生産性も失われたのです。

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こちらはジンバブエドルの紙幣です。
「0」の数は14個。いくらの紙幣でしょうか。
答えは、100兆ジンバブエドルです。
(リンク先に続きあり)