静岡旧日本海軍が実用化目指していた謎の兵器「A装置」 きょう講演会で報告

A装置のイメージ ※河村教授作成の図を参考
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◆島田・旧海軍牛尾実験所で実用化目指す

 太平洋戦争末期、旧日本海軍が電磁波兵器を研究するために島田市牛尾に建設した「第二海軍技術廠(しょう)牛尾実験所」。遺構は二〇一五年に姿を消したが、東京工業高専の河村豊教授(科学史)の調査で、空中で砲弾を爆発させる「A装置」と呼ばれる兵器の実用化を目指していたとみられることが明らかになった。三日に島田市で開かれる講演会で報告する。

 戦時中、現在の島田市中心部には海軍の島田実験所があった。島田実験所では、米軍機を撃ち落とすため、後の電子レンジで使われるのと同じ原理で電磁波(マイクロ波)を照射して米軍機の機器を壊す兵器「Z装置」の開発に取り組んでいたことが知られていた。

 戦況が悪化する中、島田実験所の施設を疎開させるため、北西へ五キロ離れた大井川の岸辺に牛尾実験所が建設されたが、本格稼働することなく終戦を迎えた。電源室のコンクリート基礎などの遺構があったが、戦後七十年の一五年、大井川の治水工事で取り壊された。

 河村教授によると、A装置は、地上の高射砲から発射した砲弾にマイクロ波を照射し、敵機近くで爆破させることで命中精度を上げる兵器とされる。

 河村教授は、改修工事前の発掘調査で見つかったパラボラ反射鏡を取り付ける架台の構造を分析し、終戦後の米国の調査団資料に残る「電波制御による起爆法が検討された」などの記述や、海軍関係者の回想録にも注目。牛尾実験所の主な目的は、このA装置開発だと結論づけた。これまでのZ装置よりも実現可能との考えから、計画が進められたとみられるという。

 島田実験所では、後にノーベル物理学賞を受賞する朝永(ともなが)振一郎が理論的な研究を進めるなど当時の一線級の科学者が集まり、一般職員も含めて約千四百人が働いていたとされる。河村教授は「Z装置のような殺人光線という荒唐無稽なものではなく、かなり具体的な技術開発が進んでいた。後の日本経済を支える技術も含まれており、実験所は科学遺産、産業遺産としての意義がある」と話している。

 講演会は島田市教育委員会主催で三日午後一時半から、同市金谷代官町の金谷公民館で。参加無料。河村教授の講演の後、地元の郷土史家らが調査の進展状況をテーマに意見を交わす。

(古池康司)

 <Z装置とA装置> Z装置はマイクロ波を照射して米軍B29エンジンにダメージを与えるのを目指した兵器。殺人光線とも呼ばれる。戦時中の1943年に開設された旧海軍島田実験所で研究が進められた。河村豊教授によると、理化学研究所仁科芳雄博士ら22人の物理学者が関わった。A装置はZ装置の目的をさらに絞る形で開発に向かったとみられる。

中日新聞 2017年12月3日
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